ハンガリーの初中等教育(基本編)


フニャ高 図書室

フニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)に勤めて6年半。 フニャ高はブダペストにある 地元ハンガリー人の子弟が通う ごく普通の高校です。 (つまり、ワタシは日本人だけど、日本人学校とか 日本人がいる学校に勤めているわけではない。)

このブログではワタシの職場…つまり学校のことを たびたび話題にするので、今回はちょっとハンガリーの初中等教育制度について説明してみたいと思いマス。 (日本のソレとはだいぶ違うところがあるので。)

■ 年度

まず、学年開始は9月からの1年間。4月始まりではありません。
日本ではそろそろ卒業式シーズンですが、こちらハンガリーの卒業式シーズンはまだ もうちょっと先です。(←でも 8月ではない。)

 

■ ハンガリーには「中学校」が無い!?

次に 日本とは大きく違う点は、ハンガリーには小学校と高校しかなく、中学校はありません。 ただし、コレには もう少し詳しい説明が必要。

ハンガリーの初中等教育は 日本のもの(6・3・3制の12年間)とはちょっと違い、小学校が8年・高校が4年の12年間なんです。
そして、学年は小学校の1年生から高校まで学年を通年で数えます。 だから1年生から8年生までは小学生(8年間)、高校に通うのは9年生から12年生(4年間)まで。

このブログでフニャ高の生徒のことを、いつも「高校生」って言っていますが、実は年齢・学年で言うと、ハンガリーの高校生って 日本の中学3年生(14~15歳)から高校3年生(17~18歳)にあたるわけ。
中三から高三までをまとめて ひと言で言う単語が 日本語にはないので、「高校」って言っちゃってますけどね(^^ゞ 日本の「高校」とはちょっと違うんです。

以上が、ハンガリーの基本の初中等教育制度。

テストには出ないけど、我がブログ『続・ハンガリー試行錯誤』を読むときには無駄にならない知識ですので、おぼえておくとイイかも♡ (他で役立つ場所は ほとんど無いだろうケドね~(^^ゞ)

 

ハンガリーの初中等教育制度、基本は以上なんですが、
実はもうちょっと知っておいたほうが良いことがある。
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社会では何の役にも立たない
『続・ハンガリー試行錯誤』読むためだけに必要な基礎知識。
続きは次回!!


去る者、来る者、戻る者。(その3・戻る者)


フニャ高職員室

前回前々回の記事に続いて。

フニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)の先生たちの雇用契約期間は、最低1年(細かいことをいうと、丸々1年ではなく、夏休みの期間をのぞく約10ヶ月間)が基本。
それは、学校では新学年の開始時に時間表が組まれ、(前期・後期の境目に小さい変更があるものの)学年末までその時間表を元にすべてが回っていく仕組みだから。

たとえばワタシなどは 1年ごとに契約を更新しながらココまで来たので、毎年 新学年開始とともに新規雇用されてきたと言ってもイイ。 つまり実を言うとワタシ、毎年 夏休みの間は無職の身の上なの。  夏休みは日本に帰るので、何かと物入りだというのに収入なしだよ!! ワタシの人生は甘くないのョ~~(>_<)
でも、ワタシと同じように学年単位で採用された先生の中には、6月に学年終了した段階で
学年末までどうもお疲れさまでした。来学年度は別の職場を探してください。
…という事になる人もいるので、ワタシみたいなののクビが繋がっているだけでも奇蹟なんだ。感謝せぇよ!!…なんだけど(^^ゞ

でも、フニャ高の先生たち全員がワタシみたいに毎年毎年 契約更新の書類にサインしているわけじゃなくって。

フニャ高在籍年数の長い先生たちの多くは『契約期限なし』の契約を結んでいるらしいです。  つまり、何かとんでもない不始末をしでかしてクビにされるようなコトがなければ、自分の方から「今学年を限りに辞めさせてもらいます。」と言わない限り、自動的に契約が更新されるというもの。 具体的にどういう条件が満たされると『契約期限なし』のご身分になれるのか、よく分からないんだけど。

で、ハナシは元の今学年の初めに採用されて、いつの間にか辞めていたO先生の件に戻ります。

前々回の記事に書いたとおり、O先生がいつから来なくなったのかは分からないんだけど、ワタシが「O先生は辞めた」と人づてに聞いたのが冬休みの直前。 だから、冬休みの前にはO先生の後任の先生は まだ来ていませんでした。 そのまま冬休みに突入~。

そして、すべての職員がすっかり冬休みボケして職場復帰してきた冬休み明けの初日、もうしっかり後任の先生がちゃんといた☆

その新年明けに新しく来た先生(以下、K先生)、実は完全に新しく来た人ではありません。 以前フニャ高に勤めていた わりとベテランの先生なの。 ワタシがハンガリーへ来たばかりの1年目~2年目まで一緒だった人で、当時 K先生には けっこう世話にもなった。 フニャ高を辞めて数年は、旦那さんと一緒にルーマニアに行っていたけど、いつの間にかブダペストに戻ってきていたらしい。 だからK先生、分かりやすくいえば、『出戻り』かしら~??(^^ゞ

『契約期限なし』の先生の中には、どうやら「いつ戻るか分からないけど、また戻ってくる可能性あり(?)」な感じの含みをもたせた形をとって『辞める』人がいるみたい。 さすがに学年途中にそういう先生が戻りたいと言っても『空き』がなければ戻ってこられないんじゃないかと思うけれど、今回のように学年途中で突然『空き』が出来たり、学年の変わり目に「戻りたいです」と言えば戻って来られるようですね。

日本にも産休制度とかあるけど、K先生のケースのように 4年半後に復帰(O先生の件がなかったら、5年後になっていた可能性も)とかって、けっこう珍しいんじゃないかと思うんですが、どうですか???

 

久しぶりに会ったK先生には、
「あらぁ~、アナタ、まだ居たのねぇ?」って言われちゃった(^^ゞ
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そうなの、まだ居るのよ、K先生~~。
でも、昔と違ってワタシ、ハンガリー語 喋ってるでしょ?
<(`^´)>

 

 


去る者、来る者、戻る者。(その2・来る者)


国会議事堂

前回の記事に続いて。

昨年9月から新しく来て、いつの間にか辞めてしまっていたO先生。 O先生の辞め方は、異例中の異例といっても良いもので、O先生がフニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)に来なくなってから 次の先生が来るまでの間に ちょっと時間が空いてしまいました。

でも、そういうのは はっきり言って 学校としては望ましくない。

先生はそれぞれ担当する授業時間を持っているので、先生がいなくなっちゃったら すぐにその授業はどうするの?って話になってくる。 教室には勉強しなくちゃならない生徒が溢れているというのに…。
(先生が休んだりして授業がなくなると 生徒たちは素直に喜ぶけど、本当は授業を受ける機会が減ることで 勉強すべきことをしないままになる可能性もあるし、後で詰め込むことになるなど、自分自身にしわ寄せが来る…ということは、学生時代には なかなか分からないモノ(^^ゞ……)

O先生の場合は例外として、今までフニャ高で学年途中で先生が辞めていった時は 「今月末まで」とか、「2週間後の金曜日まで」というような感じだった。 そうすると、「翌月1日から」または「その週明けの月曜日から」新しい先生が来るわけ。 つまり授業時間にブランクはない。先生が変われば多少のゴタつきはあるだろうけど…。

そんなにすぐに新しい先生が見つかるものなのか?」…と思うんだケド、O先生みたいに いつ辞めたのか分からないような場合でなければ、ブランクを置くことなく 新しい先生がちゃんと来るの。
日本の公立学校みたいに、先生の採用は都道府県単位で 欠員がでたときには 上の方から代用教員がすぐに派遣される仕組み…というわけではないみたいなのョ。 だってフニャ高って 転勤がないじゃない? 教員の採用は各学校単位で行われているはず。 それでも辞めていった先生の『後がま』がすぐに見つかる

聞いたところによると、ハンガリーには職にあぶれた教員が大勢いるのだという。 だから学校側は買い手市場。 誰かが辞めても、すぐに後がまが見つかる…らしい。 教員の給料は とっても低いので、教員希望者が余るほど存在するなんて、個人的にはそのほうが不思議だと思うんだけど~(^^ゞ

 

2週間かそこらしか時間がない時でも
ちゃんと後がまがみつかるなんて、スゴイ早業じゃない~!?
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まるで ハンガリーじゃないみたいだ…な~んてっ(^^ゞ
教員人材バンクみたいなモノがあるのかしらね???

 

 


去る者、来る者、戻る者。(その1・去る者)


学校

フニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)はハンガリーの公立の高校です。

日本の公立高校の先生たちって転勤がありましたよね?
毎年4月には先生たちの移動があって、朝礼で新任の先生の紹介があったりした。

一方、フニャ高の先生には転勤がありません。(フニャ高の先生に転勤がないってことは、ハンガリーの公立学校はどこでも同様に転勤がないと考えて良いと思う。近年ハンガリーでは学校のシステムの大変革を断行しているので、この先どうなるかは分からないけど。) だから、フニャ高には『勤続20年以上!!』…みたいな先生が何人もいたりする。

フニャ高勤務10年以上の先生は かなり多いんじゃないかな? そういうワタシ自身が 何だかんだでいつの間にかフニャ高勤務6年を過ぎて、今が7年目だからね~(^^ゞ ワタシが来た時に 既にいた人は、少なくとも7年以上勤務している人たちなわけだ。

学校は9月から翌年6月までの1学年ごとのサイクルで動いているので、教員の勤務契約も1学年ごとが基本。 だから9月から新たに採用された先生は、翌年の6月の学年終了まではフニャ高に勤めることになる。 学年途中で先生が入れ替わるのは、何かと授業にも支障がありますもんね~。

でも実際には、学年の途中でフニャ高を去っていく先生が 毎年何人かは出てくるもんです。
今学年度になってからも、すでに一人の先生がフニャ高を去っていかれました。 9月にフニャ高へ来たばかりだった人。 仮の名を「O先生」としておきましょうか。

基本的に 先生が学年途中で辞めるのは異例のことなので、辞める事情はともあれ ちょっと遠くへ行くことになったので物理的にフニャ高に通うのは無理だから…ということが多い気がします。 辞めていくまでの期間が かなり急な場合もあるけれど、今までのケースではそれでも少なくとも『2週間後の金曜日まで』とか、そんな感じで、その先生が辞めるって事が 前もって周知のことになっていたわけ。

でも、O先生の場合は、いつの間にか居なくなっていた(・o・;;)…としか言いようがない。

冬休みが明けてからはもう O先生の代わりの先生が来ているので、今はモチロンO先生が辞めたことは周知の事実になっているけれど、O先生がいつ辞めたのかは、たぶん誰も知らないの(^^ゞ 冬休み前にはもう居なくなっていたけれど、いつから居なかったのかよく分からない。 ひょっとすると11月後半頃からすでに姿を見かけなくなっていたのかも???

O先生の席はワタシの席の右側 二人置いて三人目だったので、席は比較的 近かった。 でも、ワタシと違ってハンガリー語が不自由なわけでもないのに、O先生が誰かと雑談しているようなところを見た覚えがないのね~。 もちろん誰とも口をきかなかったわけはないだろうけど、O先生の向かい側の席の先生が「あの人、全然しゃべらないし…(-_-)」って言っていたのを聞いたので、ほとんど職場での会話がなかったんじゃないでしょうか?

そんな感じだったので、ハンガリー語力が不自由なワタシがO先生との会話がそれほどなかったのは当然といえば当然。 それでも、何回かは話したことがあって。

ある時、O先生に
「どうしてハンガリーに来たの?」
って聞かれたので、
「う~ん、特別に『来なくちゃならないような理由』があったわけじゃなくって~。 初めてフニャ高へ来たときは、その前にハンガリーに来たこともなかったし~。 家族や友達がいたわけでもなくって、知ってる人も居なかった。 しかもハンガリー語も全然知らなかったんだよね(^^ゞ」
…と事実をありのままに答えたらば、O先生はものすご~くビックリして、まるで化け物を見るような目でワタシを見ていたのが忘れられない。(ワタシのこの身の上話は、なぜかたいていの人に驚かれるんだが、O先生のは『人間じゃないモノ』を見ているかのような驚き方だった。)

誰も事情を知らないみたいなので想像するしかありませんが、O先生の場合は 半ば通勤拒否状態になって そのまま辞めることになったのかな…と思う。

今になって思えば、あの人、フニャ高に全然馴染んでいなかったよなぁ~。 イメージとしては、「怯えているネズミ」のような感じだったな。 怯える子ネズミちゃんには…フニャ高で先生するのは ただ辛くキツイだけの苦行だったでしょうね(^^ゞ  合わない場所に来てしまって気の毒だった。

O先生、今はフニャ高から解放されて元気にしているかな?

 

長くなりましたので、
今回は記事タイトルの「去る者」の部分だけ。
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次回、「来る者」の話題へ進む予定です。
んでは、また明日~(^_^)/~

 

 


きめる時はきめる☆ 先生、カッコ良かったデス(≧∇≦)


オスタイキランドゥラーシュ 英雄広場

前回の記事「ハンガリーでは公共の乗り物の中で飲食して、その後にでたゴミをその場に放置していくヤカラが大勢いる」…ということを書いていて、思い出したコトがあります。

1年半ほど前のことです。 フニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)のオスタイ キランドゥラーシュ(クラス単位で行く旅行。詳しくは過去記事のコチラ)で ブダペストの観光名所のひとつ、『英雄広場』へ行きました。 (その時は、市民公園の中の博物館などを巡り、最後は英雄広場で解散…というコースでした。2クラス合同で 生徒の数は50人くらい、引率はあまり役に立たない私を含めて5人…だったかな? もうよく覚えていない(^^ゞ)

『英雄広場』に着いた時は、それなりに歩き回った後だったので、それなりに皆 疲れていたところ。縁石に座り込んで休む生徒も。(←コレはハンガリー人としては特別お行儀が悪いということはない許容される範囲のふるまい。) 

オスタイ キランドゥラーシュでは、朝から午後まで ほぼ1日かけて歩き回るようなコースをとる場合でも、特別に昼食時間を設けたりしないことが多いです。 日本の学校の遠足だと、お食事の時間をとって みんなが一斉にお弁当を食べたり、お弁当じゃない場合は全員でどこかの食堂へ行って食べたりする時間があるだろうけどね。 フニャ高の遠足の場合は違うんです。

それじゃ、遠足の間 何も食べないのかというと、もちろんそんな事はない。 移動の電車の中でとか、行き先のポイントで皆で立ち止まっている時などに、お腹が空いていれば それぞれ持ってきたサンドイッチなどを(勝手に)食べるんです。外で。 だから基本は立ち食い 飲食が禁止されている場所に入る前には、「お腹が空いている人は今のうちに食べちゃいなさい。」…というような指示があったりするけれど、基本的にはそういう指示もない。 食べたい者は 食べたい時に 食べられる場所で 勝手に食べるのデス。

オスタイ キランドゥラーシュの時の飲食はそういうものなので、『英雄広場』で休んでいる時、生徒の中にモノを食べだす子がいるのは自然の成り行き。 ただ、そういった女生徒の中に 皮付きのひまわりの種か何かを食べていた子たちがいました。剥いた皮を散らかしながら…(-“-)

すると、引率の先生の一人、昨年度末で引退なさった…つまりベテランの先生で、日頃は穏やかで生徒を叱ることなんてなさそうに見える先生が、
「貴女たち!! ココをどこだと思ってるの!? 世界中から観光客が来るような場所ですョ!! そのゴミをサッサと拾いなさい!!!!」
…と、叱り飛ばしたの。

大声だったわけでもなかったけど シッカリと凄みがあって、散らかしていた子も
こっちはワタシが散らかしたんじゃないのにぃ~(>_<)」
…とか言い訳しながらも、必死でゴミを集めていました。

それを見てワタシは、「優しそうに見えて(…というか、実際に優しい人)も、きめるべき時にはバシッときめるんだなぁ。 先生、カッコいいな…♡」…と思った。

それからブダペストでは、けっこう何処にでもゴミが散らかっている印象があるので、「ハンガリーの人はゴミが散らかっていても あまり気にしないのかな~?なんて思っていたけれど、実はゴミを散らかしてはいけないというモラルはあるのね?」…とも(^^ゞ

 

オスタイ キランドゥラーシュの時、
生徒に睨みをきかせたり、統率するのには ほとんど役立たずのワタシ(T_T)
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引率教員としては失格ですが、
写真をいっぱい撮るので そっちのほうでは役に立つのよ。
ワタシは引率教員ではなく、『同行カメラマン』か?(^^ゞ