『モスクワ広場』だった。

 

元・モスクワ広場

約1年前、2016年2月のブダペストの『セール・カールマーン広場』(↑)

『セール・カールマーン広場』は、地下鉄・トラム・バスなどの乗り換えで 大勢の人が利用するブダペストの市内交通の拠点駅の一つです。

1年ほどもかけての大規模な修繕工事が行なわれ、上の写真(↑)を撮ったのは、工事も終盤にさしかかった頃でしたかね。この後 しばらく経った昨年の春頃に、修繕工事が終わったと記憶しています。

この広場、ワタシがハンガリーへ来た当初は『モスクワ広場』って名前だったの。

それが、ある日突然『セール・カールマーン広場』になった。

いえ、広場の名前が変わる前には色々色々あったと思いますケド、ワタシの周囲のハンガリー人でさえ、
「何て名前に変わったの??? で、いつから?」…という感じだったので、
名前変更の当時、それほど周知努力がされていたとは思えない…。(-“-)

『セール・カールマーン』っていうのがまた、ハンガリーでもあまり有名とはいえない昔の政治家の名前らしくて、あまり通じがよろしくない。
『モスクワ広場』のほうが、はっきり言って 断然分かりやすかった。

…そんなわけで、『セール・カールマーン広場』に名前が変更された後、数年経っても『モスクワ広場』と呼ぶ人がいたと記憶しています。(^^ゞ

まぁ そんな感じだったんですが、名前が変わってすでに7年くらいは経ったと思うので、さすがに最近では『セール・カールマーン広場』が定着し、『モスクワ広場』の名も廃れてきた感じかな。

ワタシは今も、セール・カールマーンさんが いつ頃の人で、どんな功績を残されたのやら存じ上げませんが。(^^ゞ

 

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『モスクワ広場』だった。” への2件のコメント

  1. almakkiiさん、こんにちは。セール・カールマーン広場は毎日の通勤路だったので、懐かしいですね。ここはもともとセール・カールマーン広場と呼ばれていて、ロシアの影響下にあった時代だけモスクワ広場という名前になっていたらしいです。ですから元の名前に戻したんですね。ここは1956年のハンガリー動乱時に戦場になったところのようで、毎年動乱があった10月20日前後にはこの広場のショッピングセンター「マムート」の入り口近くの慰霊碑に多くの花束が捧げられます。モスクワという言葉はハンガリーの人にとってはあまり思い出したくない言葉なのではないかと思います。若者はともかく、ある年齢以上のハンガリー人にはまだその頃の記憶が生々しく残っているのだろうと思います。

    • シュークリームさん、コンニチハ!(^_^)!
      そういうことだったんですか。
      全ての謎が解けた感じです。勉強になりました。
      どうもありがとうございます~!!

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