日暮れが早くて…

夕日

11月も終わりが近づいて、近頃はすっかり日が暮れるのが早くなってきましたね〜。
(T ^ T)

ブダペストの緯度は ほぼ北海道の最北端くらいですので、冬至の頃の日没時間は16時前。 だから天気が良い日だとしても、15時頃には日暮れの近づくムードが漂い始め、16時を過ぎれば星がきらめく夜空でした。

そんななので、フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)でのワタシの授業が終わるのは16時近くだったから、11月の終わりごろから3ヶ月ほどは、日が高い時間帯には家に帰れなかったなぁ…。
時間としてはそれほど遅くはないわけなので、夜空を見上げながら夕方、食料の買い出しに行っていたもんです。

当然ながら朝、明るくなるのも遅いので、冬至前後の3ヶ月ほどは日照時間が短くなるじゃない? ワタシ、冬の間はブダペストよりも北の土地では生活できる気がしなかったなぁ…。(*_*)

でも、ブダペストなんてヨーロッパ大陸の中では わりかし南の方に位置しているので、実際にはブダペストより北には大勢の人が生活してるんですよね。
北国の人々、辛抱強いですよ、ホント。

 
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ホントかな?

階段室

11月半ばのフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)のオープンスクールウィーク。

フニャ高に在籍していた14年間のうち、コロナ禍だった最後の1年を除く13年、ワタシはフニャ高のオープンスクールに貢献しました。
ワタシの働きが功を奏したのかどうか、ワタシの在籍中、フニャ高は順調に受験者の数をかなり増やしたんですよ〜。

でも最初の数年はワタシ、かなりイヤイヤだったんですよね〜。
数年後には、「コレも自分の仕事」と、開き直って頑張るようになりましたケド…。(^_^;)

ワタシがオープンスクールを嫌がっていた頃、ある同僚に「生徒が集まらないと、ハンガリーでは簡単に学校が潰されてしまうから、オープンスクールはすごく大切。だから協力して!」って言われたの。

しかし「学校が潰れる」って話、本当だったのかなぁ?
ワタシを協力させるための方便だったりしたんじゃないのか…とか、思ったり、思わなかったり…。^^;

 
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11月半ばの…

フニャ高校庭

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)では、11月半ばごろに来年度の新入生向けのオープンスクールを、月〜金の一週間でみっちりやるのが恒例でした。

課外活動扱いの日本語クラス担当のワタシなんかが、オープンスクールで何かすることがあるのか!?…と思われるかもですが、実はワタシがフニャ高にいた14年間のうち 最後の年を除く13年間、オープンスクールにはむちゃくちゃ貢献させられました。

最後の年(2020年)はコロナ禍で 恒例通りのオープンスクールができなくなり、ワタシの出番は無かったのですが、「オープンスクールがナイと、11月がすごく楽だな〜♪」とか思うくらい、オープンスクールは大変じゃった。
(^_^;)

コロナ禍は、授業はもちろんのこと、行事面での学校を大きく変えましたよね〜。

コロナ禍が過ぎて、今頃は昔ながらのオープンスクールが復活しているのかなぁ…???

 
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最後の年の後悔

名前書き

ワタシがフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)で過ごした14年間のうち、最後の1年は2020年9月〜2021年6月までの学年度でした。

この学年度は、どっぷりコロナ禍だったんですよね〜〜。
(T ^ T)

2020年の夏ごろのハンガリーでは コロナ禍がちょっと下火だったので、新学期は普通に対面授業で始まったんです。
もちろん感染予防はしなくちゃならないので色々と対策しながらだったり、クラス単位での学級閉鎖などはありましたが、それでも10月末の秋休みまでは通常の対面授業をしていました。

そして11月。
秋休みが終わって再び対面での授業始まったのですが、休み明け1週間で授業はオンラインになってしまい、再び対面授業が始まったのは翌年の5月だったんでした。

対面授業が突然無くなってしまったため、予定していた11月の日本語クラスの恒例イベントも急遽中止に!
(T ^ T)

秋休み中の帯締め練習もしていたし、もちろんイベントの準備は整えてあったのに…。

このイベントは、フニャ高の一般生徒が帰宅後、学校に残って日本語を勉強していた日本語の生徒らに「良いカッコ」してもらうために工夫してきたモノだったので、最後の年にワタシの最後の生徒たちが良いカッコする機会が失われたことは、今も無念ですよ…。
(_ _;)

 
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貝の口

名前書き

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)で行っていた年に1度の日本語クラス主催のイベント。
日本語クラスの生徒が浴衣姿で、日本語クラスに入っていない生徒たちにカタカナで名前を書いてあげる…というもの。

このイベントを初めにやった時は たしか3月頃で、浴衣の着付けは日本人のボランティアの方々にお願いしました。本当にありがたかった!!

でも毎年このイベントをやってるうちに、開催時期は秋休み明けの11月になり、着付けをしてくれるボランティアには来てもらえなくなってしまい、ワタシが着付けをしなくちゃならなくなりました。

しかし、女子の着付けはなんとかなるんですが、男子の着付けが難しくて…。
(T ^ T)

秋休み中に男子の着付けのため、毎日、貝の口の帯締めを自主練してたもんです。

この日本語イベント、準備段階から色々大変だったので、終わるともうグッタリだったけど、今になってみると良い思い出だな…。

 


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