2019年4月13日

日本庭園

自分の過去写真を発掘したところ、ワタシは今から3年前の2019年4月13日、ブダペストで『日本庭園まつり』にお出かけしていた模様。(↑)(↓)

ブダペストに、植物の栽培とか造園とかを学べる専門高校があって、その高校には日本庭園がありました。 学校の敷地内なので、一般公開されてるわけではなかったらしいんだけど、春には日本庭園まつりと称して一般見学者を受け入れていたんです。

盆栽(↓)があったり
盆栽

茶道のデモンストレーション(↓)があったり
茶道

懐かしいな〜〜。(⌒▽⌒)

この次の年の春はもう、コロナ禍で軒並みイベント中止になってたんだよな〜。
今年あたり、お祭り復活できたのかな???

この日、一緒に行った生徒たちは元気でいるだろうか…。


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2月といえば、いつも…

スピコン

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の2月の恒例行事といえば、マーチャーシュ・ヴェテールケドゥー。(←関連過去記事はコチラ)
しかし、マーチャーシュ・ヴェテールケドゥーは自分が担当している行事ではなく、時間が空いていれば見物に行くだけの、ワタシにとってはお気楽行事でした。(^^;

フニャ高時代、2月ごろにワタシがやっていた仕事といえば、スピコンの準備(パフォーマンス練習)でしたわ~~。

3月にある「ハンガリー日本語スピーチコンテスト」の中、パフォーマンス部門という余興的なコーナーで発表するパフォーマンスの練習をしていたのが2月でした。
フニャ高として出場し始めた最初の3年間のパフォーマンスは「合唱」だったんだけど、それ以降は毎年 手を変え品を変え、全然違うコトをやっていたので、毎年新ネタを考えるのが大変だったなぁ…。
( ;∀;)

一昨年も自信作のパフォーマンスを準備していたんだけれど、コロナで突然スピコンが中止になっちゃったんでした。
あれから もうすぐ2年か……。

 
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前期末

マーチャーシュ像

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の一学年は、9月に始まり、6月に終わる前期・後期の二期制です。

で、前期の終わりは 毎年だいたい1月の第3金曜日なので、
「たしか今週辺り、前期末なんだろな~~」と思っていたら、案の定、その通りなようですョ。
フニャ高に今も勤めている元・同僚のメールに書いてありました。(^^;

14年勤めたフニャ高の年間カレンダーは、いまだにワタシの中で健在だな!!
( ;∀;)

しかし、前期・後期の区切れ目といっても、金曜日にフツーに時間表通りに授業して終わり、土日休みを挟んで、月曜日にはまたフツーに授業で始まるので、前期・後期の区切れ目感はそれほどでもナイんですよね~。
ま、一応は前期までのところの成績がつくのですが…。

今年のワタシにとっては、フニャ高を辞めて もう約半年経ってしまったか…。そんな感慨はありますけどね~。
(^-^;

 
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カルタ恋しや

団体戦

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)を辞めてから3か月以上。
今のワタシには もはや、カルタも将棋もする機会がありません。
(´;ω;`)

それなのに、いまだに日々のカルタと詰将棋(スマホアプリで)を欠かさないワタクシです。(^^;

カルタも将棋も、生徒と日本らしい遊びを楽しむためにやっているコトだと思っていたけど、意外と自分自身の趣味だったんですかねぇ?
( ̄▽ ̄)

 
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インターンでした

フニャ高

アンケートへの質問、どうもありがとうございました♡

今回のQ&Aは、コチラの(↓)二つで~す。

 

Q: はじめまして。ハンガリーに渡った理由(キッカケ)が知りたいです。宜しくお願い致します。

Q: 日本語教師のお仕事があるということで渡欧されたのですか。行き先はハンガリー一択だったのでしょうか。バリに日本語教師をしている友人がおりますが、彼女はパリに住みたくて渡欧、そのまま結婚して住んでいます。

A: こういった質問をいただくことは、わりと多いんですよね~。 日本人だけでなく、ハンガリー人からも、似たようなことを よく聞かれました。

でも、それについてのワタクシ話を始めたら、話せば何十分もかかるだろうし、書いたらそれこそ本が一冊書けてしまうんじゃないかとか思うわけ!
そして、そんな長々しい身の上話は、誰も聞きたくはないし、読みたくもなかろうよ…。
( ;∀;)

だから、出来る限りシンプルに説明しようと思います。

ワタシがハンガリーへ行ったきっかけは、ネットで偶然見つけた「スクールインターン」に応募したことです。 つまり、フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)がインターンの受け入れ先で、たまたまその募集を見つけたんですよね~~。(⌒∇⌒)
だから、あくまでも成り行きでしたが行先きはハンガリー一択でした。

そんなわけで、ともかくワタシ、最初は「一年間限定のインターン(見習い)」として、フニャ高へ行ったんです。 インターンだから無給で、それどころか研修費のようなモノをこっちが払ってたの!!

だから、働いてはいたけども、稼いではいなかったのですじゃ。
(´;ω;`)

ワタシが行く以前のフニャ高には日本語の「に」の字もなかったので、日本語のクラスもありませんでした。だからフニャ高の日本語クラスは、ワタシがフニャ高へ行ってから始まったんです。

ワタシのコト、フニャ高に日本語クラスを立ち上げた功労者と呼んでくれても良くってよ~。
ホホホ~~~。(^^;

1年目のインターン期間は、自分のやる日本語クラスの傍ら、英語の先生のクラスにアシスタント・ティーチャーみたいな感じで行っていたり、他教科の先生に単発授業を任されたりもしてました。

単発授業っていうのは、例えば物理のクラスで原爆の話をしたり、地学のクラスで地震と津波の話をしたり、歴史のクラスで日本の歴史を話したり…と、色々やったなぁ、ワタシも。(^^;

この手の単発授業は、まだハンガリー語が全然だったころなので、英語でやってたんですが、基本、テーマを与えられるだけで、あとはワタシに丸投げだったの。すっごい準備大変だったですョ~。(´;ω;`)

しかし、そんな努力が認められたのか、1年のインターン期間が終わる前に、当時のフニャ高校長が、「2年目 残る気があるなら有給で雇う」と言ってくれたんです。

そんなわけで、2年目以降は有給で働けるようになりました。 すっごく薄給だっだけど、無給よりはマシ。(^^;

これでもできるだけシンプルにしたんだけど、こんな長話になっちゃった。ゴメンゴメン。


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