カルター

金曜日

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の日本語クラスでは、よくカルタをして遊んでいました。
元はといえばハンガリーの日本語教師会が作ったひらがなカードを使ってカルタをしてみたら、思いのほか生徒らが喜んだので、定番化していったのです。

日本語の勉強をするのはあまり好きじゃない子でも、カルタは楽しそうにやっていたなぁ…。

日本語学習者向けのひらがなカード、カタカナカードだけじゃなく、日本の子ども向けのカルタを試してみたら、すっかり気に入って読み札も覚えちゃったり…。
さすがに百人一首はちょっと難しかったみたいだったけど、けっこう出来るようになる子がいて、頼もしかった!!

日本人は百人一首の取札を文字で認識するけど、ハンガリー人のカルターは絵札と同じように「下の方が白っぽい」とか、「上の3文字の雰囲気」とかで識別したりしている人もいて、ひらがなが読める人とは限らなかったりするの。
逆にスゴくない〜!?
(^^)

 
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コロナ禍以前の夏休みには…

バミ高

コロナ禍以前の夏休みには、生徒と一緒に他校のかるた練習に遠征したりしたこともありました。

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)ではテーブルの上に並べてかるたしていたけど、遠征先のバミ高(←仮名)とかでは、ちゃんと正座でかるたしてて、本格的だった…。

帰り時間が遅〜くなってしまうけど、夏至で日が長い頃だし、夏休みだし…って事で、夕方開始の大学のかるた練習に行ったこともあったっけ。 

コロナ禍の時には、そういう他校へ行く機会は全然なくなっちゃったんだよな〜。
(;_;)

 
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おやつタイム

おやつタイム

2020年の夏休み、コロナ禍で日本に帰国することができず、ワタシはフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)に居残っていました。
(T ^ T)

日本に帰れなくて夏休みヒマだったから、週に1回、学校に生徒を集めて競技かるたの練習会をしていたの、今となっては楽しかった思い出です。

コロナ禍だったとはいえ、その夏休み中は比較的に感染は下火だったので、多く集まった回でも4〜5人ってとこで、わりと大丈夫だったんですよ〜。

練習日は基本的に、1試合した後、休憩を兼ねたおやつタイム、おやつの後にもう1試合するパターン。

最初の回のおやつは、ワタシが持ってた金平糖とか、ちょっとした日本のお菓子だったんですが、練習の回を重ねるうちに、生徒らもおやつを持ってきてくれたりするようになり、同僚の先生がお菓子をくれたこともあったなぁ。

上写真(↑)の左側に写っているのが、同僚の先生がくれたどこかのアジア旅行のお土産らしきお菓子。中に餡が入ってる餅菓子で、けっこう美味しかった!
この日のおやつは豪華だったなぁ〜〜♡

 
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2020年の夏休み

かるたキャンプ

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)時代、ワタシは毎年夏休みに、年に1度の帰省をしていました。

日本の夏は暑いので、季節的には夏を避けたいくらいだったのですが、まとめて1ヶ月間も帰省することができるような休みが 夏休みしかなかったので、やむを得ず。

ただ、コロナ禍の2020年の夏休みは、年に1度の帰省を諦め、ブダペストに居残ることに…。(T ^ T)

ブダペスト居残りで暇だったので、「毎週水曜日はかるたの日」と決めて、週1で生徒を集めてかるたしてました。
思えばこの時が、ワタシのかるた能力のピークだったかも。
(゚∀゚)

日本に帰国してからは全然かるたをしていないので、もう歌もだいぶ忘れちゃったな〜〜。あの頃は百首全部覚えてたのにな……。

 
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幻のナンバーワン

ピクニックデイ

2019年の学年最後の日、フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)のピクニック・デイで、ワタシが『競技かるたのお部屋』を主催した時の思い出の写真。(↑)

ピクニック・デイというのは、夏休みを前に、様々なお楽しみ企画(学生チームvs先生チームで戦うサッカーとか、映画上映会とか、クラス主催のカフェとか、絞り染めワークショップとか、プログラム色々)で学年最後の日を学校で楽しんじゃおう…という日。

ワタシの『競技かるたのお部屋』では、知人のツテを頼って競技かるたをする大学生に3人ほど来てもらって、お手伝いしてもらったんです。

実はその時にお手伝いで来てもらった大学生のうちの一人が、ワタシがフニャ高を辞めた2021−2022学年度に、フニャ高に教育実習生として来ていたんです。
しかも、教育実習先にフニャ高を選んだのは、ワタシがピクニック・デイに呼んだ時に「楽しそうな学校だな…」と思ったせいだったんだって!

それを聞いたのは、ワタシがフニャ高を辞めるので、学校の同僚たちへお別れの挨拶をしに行った時でした。

もし、ワタシがフニャ高を辞めるのが1年遅かったら、教育実習生の彼女と一緒にフニャ高を、競技かるたでハンガリー最強校にすることも夢じゃなかったんじゃないだろうか……。
(T ^ T)

 
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