この写真から察するに、1年前のワタシはフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の教室で、アニメ『紅の豚』を観ていたようです。(^^)
懐かしいねぇ〜。
この写真を観たら、その時のクラスの子たちの名前とか、教室はフニャ高の104号室だったな…とか、色々 思い出してきた。
あれから もう一年か……(遠い目)(;∀;)
この写真から察するに、1年前のワタシはフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の教室で、アニメ『紅の豚』を観ていたようです。(^^)
懐かしいねぇ〜。
この写真を観たら、その時のクラスの子たちの名前とか、教室はフニャ高の104号室だったな…とか、色々 思い出してきた。
あれから もう一年か……(遠い目)(;∀;)
今頃、ハンガリーでは学年末。
フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)時代のワタシの学年末のプログラムは、ジブリのアニメで自分の日本語クラスを締めくくることでした。^^;
ま、巨匠・宮崎駿氏はフニャ高の生徒が使っている英語の教科書に写真入りで載っているくらいなので、ジブリのアニメを生徒らに見せるのは、スゴク教育的だったと思いますョ、たぶん…。ヾ(  ̄▽)ゞ
フニャ高の日本語クラスで、授業としてアニメを観る場合、音声は日本語オリジナル…というのが、ワタシの譲れない一線。
でもフニャ高生徒の日本語力だと、日本語音声では理解が追いつかないので、音声は日本語・字幕はハンガリー語で。
そのためワタシは、ハンガリーへ行く前に日本で買って持っていたジブリアニメのDVDを、ハンガリーに行ってからさらにだいぶ買い足し、散財しました。(←ハンガリー語字幕のために!!)
(;∀;)
ハンガリーで改めて買い込んだジブリアニメのDVDの中には、アカデミー賞も獲った『千と千尋の神隠し』(↓)があったんですが…
…どういうわけだか、DVDのパッケージには字幕が英語・ハンガリー語があると書いてあるにも関わらず、英語字幕しか無かったんです〜。(T^T)
フニャ高のシスアドさんに、DVDを調べてもらったんだけど、ハンガリー語字幕のデータは入ってなかったそうです。
不良品じゃん!!(●`ε´●)
…そんなわけで、『千と千尋の神隠し』を生徒らに見せる時は、日本語音声・英語字幕でも観たいと言う子たちでないとダメだった。^^;
ハンガリーの子たちは、ネット上にハンガリー語字幕がついてないことも多いために英語字幕にも慣れているので、英語字幕でも「千尋」が観たいって言われることが多かったですケドね〜。
(゚∀゚)
2022年の5月が終わろうとしています。
フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)にいたころのワタシが、5月末の今頃していたことといえば、学年末準備!
6月に入ってしまったらもう2週間しかないから、1グループ当たりの日本語の授業が週1のフニャ高では、残り時間数が2回ずつですもん。もう終わりも間近です〜。
課外活動扱いのフニャ高日本語クラスはユルユルなんで、学年末のプログラムはアニメ鑑賞と決まっていました。
9年生の学年末のアニメは、いつも『耳をすませば』でした
耳をすませば
『耳をすませば』のメインキャラクターたちは中学3年生。フニャ高9年生の年齢が、ちょうど日本の中学3年生にあたるため、同年代の日本の子どもがでてくるアニメを観ようという…我ながら実に教育的なチョイス!!
ヾ(  ̄▽)ゞ
上級生のクラスでは、ワタシの手持ちのジブリアニメの中から生徒らの多数決でチョイスしたのを観ていました。
もう学年末のアニメを選ぶ時期になっちゃったなんて、信じられない〜。
フニャ高を辞めてから、もう1学年が終わりに近づいているのねぇ〜〜。
(;∀;)
自分の過去写真を発掘したところ、ワタシは今から3年前の2019年4月13日、ブダペストで『日本庭園まつり』にお出かけしていた模様。(↑)(↓)
ブダペストに、植物の栽培とか造園とかを学べる専門高校があって、その高校には日本庭園がありました。 学校の敷地内なので、一般公開されてるわけではなかったらしいんだけど、春には日本庭園まつりと称して一般見学者を受け入れていたんです。
懐かしいな〜〜。(⌒▽⌒)
この次の年の春はもう、コロナ禍で軒並みイベント中止になってたんだよな〜。
今年あたり、お祭り復活できたのかな???
この日、一緒に行った生徒たちは元気でいるだろうか…。
フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の2月の恒例行事といえば、マーチャーシュ・ヴェテールケドゥー。(←関連過去記事はコチラ)
しかし、マーチャーシュ・ヴェテールケドゥーは自分が担当している行事ではなく、時間が空いていれば見物に行くだけの、ワタシにとってはお気楽行事でした。(^^;
フニャ高時代、2月ごろにワタシがやっていた仕事といえば、スピコンの準備(パフォーマンス練習)でしたわ~~。
3月にある「ハンガリー日本語スピーチコンテスト」の中、パフォーマンス部門という余興的なコーナーで発表するパフォーマンスの練習をしていたのが2月でした。
フニャ高として出場し始めた最初の3年間のパフォーマンスは「合唱」だったんだけど、それ以降は毎年 手を変え品を変え、全然違うコトをやっていたので、毎年新ネタを考えるのが大変だったなぁ…。
( ;∀;)
一昨年も自信作のパフォーマンスを準備していたんだけれど、コロナで突然スピコンが中止になっちゃったんでした。
あれから もうすぐ2年か……。