グッジョブだった思い出

トラムの中

ハンガリーの学校で、9月は新しい学年の始まりの月。
フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)では、9月の半ば過ぎにクラス遠足に出かける日があり、ワタシも何度かついていったことがありました。

日本の学校の旅行だと 移動は貸切バスとかが多いかと思いますが、ハンガリーの高校のクラス遠足は、一般の乗客と一緒の公共交通機関を利用することが普通です。

あとフニャ高以外の高校でもフニャ高と同じような年間スケジュールで動いているわけなので、フニャ高のクラス遠足に付いて行った時に 行き先がクラス遠足で人気の観光地だったりすると、よその学校のクラス遠足の御一行様と同じ電車で同じ街を目指す…というようなことも 『クラス遠足あるある』だったんです。

ある年のクラス遠足で、新入生の9年生のクラスと ブダペスト郊外のセンテンドレという可愛らしい街へ 行った時のことです。

センテンドレへは電車で行くのですが、その電車は車両ごとの間を自由に行き来することが出来ません。例えば 1号車から2号車へ移動するには一度車両を降りてから2号車へと乗りなおさなくちゃならないの。
だからクラス全員が間違いなく1つの車両に乗り込まなくっちゃいけません。

ところが乗車前の人混みで、フニャ高の子がよその学校のクラス遠足にくっついて別の車両に乗り込みそうに…。
(・o・;)

たまたま後ろにいたワタシが気づいて、慌てて引き止めたので、事なきを得たのでした。

クラス遠足の引率者としてはワタシ、本当〜〜に役立たずだったケド、あの時だけはグッジョブ!だったなぁ〜。
v(⌒▽⌒)v

 
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最後の日々

フニャ高校庭

2021年8月2日に撮影の、夏の日差しで影が色濃いフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)校庭。(↑)

2年前のこの頃、ワタシは日本への完全帰国を目前にしていて、夏休みでほとんど人が居ないフニャ高で、お片付けに励んでいました。 暑かったのでちょっとずつ…時間ある時でも1日2時間くらいが限度で…。 ハンガリー最後の日々も、いつも通りに毎日フニャ高に通ってましたね〜。
(^_^;)

フニャ高には14年居たので 私物もけっこー溜め込んでて、片付けは大変だった。
日本まで持ち帰ってきたモノもあったけれど、もちろん処分したモノもいっぱい。

未使用の文房具とかは日本に持ち帰るまでのことはナイ!と、自分の個人ロッカーの中に置いてきたので、たぶんワタシのロッカーを引き継いだ人が 使うなり何なりしてくれたことでしょう。

私物の日本語教材でまだ使えるものは、ワタシの後に来る予定の日本語の先生に使ってもらえるように置いてきたんですが、役に立ったかなぁ…???
もう2年経ったけど、今もまだ使ってもらえてる物があったら嬉しいな〜〜。
(⌒▽⌒)

 
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ブダペスト上空から

ブダペスト上空

4年前、2019年7月4日のブダペスト上空から撮った写真。(↑)
写真の画面を縦に走っている川が「ドナウ川」。
画面手前側の飛行機の翼に隠れかかっている川の中洲は「マルギット島」です。

フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)時代、例年7月初旬に行われる学年終了会議を終えて早々に、日本へ帰省するのが習慣になっていました。

ブダペストのリスト・フェレンツ空港を、飛行機が飛び立つと間もなく上写真(↑)に写っているようなブダペスト中心部上空を通ります。ホントにすぐです。たぶん離陸して5分かそこらだと思う。

当時のワタシの夏休みの帰省は、7月上旬から8月のお盆直後くらいまでの40日間ほど。 フニャ高での学年末まで勤め上げて、次の学年の勤務が始まるのに合わせて またハンガリーへと戻る感じ。 日本での40日間は長いようで、実際にはとても短かった。

でも40日間まとめて帰国できるのは、今思うとすごく恵まれていたなぁ…。
(⌒▽⌒)


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お出かけの季節

かるた合宿

ハンガリーの高校は夏休みが始まったばかり!
この時期、フニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)時代のワタシは、日本語クラスの生徒と一緒にお出かけする機会が多かったです。

やはり夏休みに入ると授業がないから時間の余裕があり、多少遠いところへでも出かけて行けるので良かったんですよ〜〜。 日が長い頃なので、よほどの事でもなければ日が高いうちに解散できたし。
(夕方から日本映画を観に行った時は別として。)

もっともコロナ禍になってからは、お出かけプログラムは不可になっちゃったケド〜。
(T ^ T)

 
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合格

窓のサンタ

ワタシが10月に受験した日本語教育能力検定試験、合格しましたーーー!!
v(;∀;)v

「絶対に…落ちた…(._.)」と思っていたので、驚きと喜びがひとしおです。

不合格を確信していた理由は、試験1・試験2・試験3のうち、試験1で時間が足りなくなってしまったからです。

試験1は問題数が多いので、かなりテンポ良く解いていかないと時間が足りなくなることは分かっていたんですが、分かっていても時間が足りなくなってしまった。
だから、ワタシの試験1の結果が良かったはずがナイ。

試験1が終わった段階で、もう諦めて帰ろうか…と思ったくらいです。

でも、「来年の試験の模試のつもりで…」と気をとりなおして、試験2・試験3を頑張ったのが良かったんでしょうね~。 合格できたもん。
(⌒∇⌒)v

来年以降の日本語教育能力検定試験を受験しようと思う人がコレを読んでいたら、試験1で失敗したと思っても、とにかく試験3まで諦めずに試験を受けること、強くおススメいたします。


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