ワタシが日本へ完全帰国するために 14年間過ごしたブダペストを出発したのは、今からちょうど2年前の 2021年8月25日のことでした。
完全帰国してから、もう2年経っちゃったのねぇ〜〜。
早〜〜い(・o・)
ワタシが日本へ完全帰国するために 14年間過ごしたブダペストを出発したのは、今からちょうど2年前の 2021年8月25日のことでした。
完全帰国してから、もう2年経っちゃったのねぇ〜〜。
早〜〜い(・o・)
2021年8月2日に撮影の、夏の日差しで影が色濃いフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)校庭。(↑)
2年前のこの頃、ワタシは日本への完全帰国を目前にしていて、夏休みでほとんど人が居ないフニャ高で、お片付けに励んでいました。 暑かったのでちょっとずつ…時間ある時でも1日2時間くらいが限度で…。 ハンガリー最後の日々も、いつも通りに毎日フニャ高に通ってましたね〜。
(^_^;)
フニャ高には14年居たので 私物もけっこー溜め込んでて、片付けは大変だった。
日本まで持ち帰ってきたモノもあったけれど、もちろん処分したモノもいっぱい。
未使用の文房具とかは日本に持ち帰るまでのことはナイ!と、自分の個人ロッカーの中に置いてきたので、たぶんワタシのロッカーを引き継いだ人が 使うなり何なりしてくれたことでしょう。
私物の日本語教材でまだ使えるものは、ワタシの後に来る予定の日本語の先生に使ってもらえるように置いてきたんですが、役に立ったかなぁ…???
もう2年経ったけど、今もまだ使ってもらえてる物があったら嬉しいな〜〜。
(⌒▽⌒)
ブダペストに住んでいる間、ワタシは職場のフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)の敷地内に住居がありました。 だから通勤は徒歩。自転車さえ必要ナイ。
でも通勤には必要なかったものの、ブダペストの公共交通機関は毎日のように利用していました。
最寄り駅まで徒歩10分、最寄りのバス停は徒歩5分くらい。
周辺にはバス路線が色々通っていたので、家から徒歩15分以内の範囲にバス停はたくさんありました。
だからブダペスト在住当時、ワタシはけっこう良く歩いていたんですよ〜。
特別運動のために歩かなくても、生活のために移動するだけで 一日5000歩〜10000歩くらい歩いてた。(ちなみに10000歩超えることはめったになかった。^^;)
しかし日本に完全帰国してから、す〜っかり歩かなくなってしまいました。
自家用車保有率が日本国内トップクラスの群馬県民なもんで。
馬っ子、歩かな〜〜い。
(;∀;)
今からちょうど5年前、2018年4月18日に撮影のフニャ高(←ワタシの元・勤め先の高校の仮の校名)校庭。(↑)
この写真(↑)、フニャ高の職員用パソコン部屋の窓から撮ったモノなんですが、この構図の写真、このブログに今まで何枚アップしたか分からないくらいです〜。
季節が違っていたり、天気が違ったり…ま、色々違うことは違うんですけど、変わり映えしないと言えば まったくその通り!!!のワンパターン…。
フニャ高に勤めていた時のワタシは ほとんど常にカメラを持ち歩いていて、毎日毎日、何かしらを写真に撮っていました。フニャ高の行事の時でもあれば、一日で100枚を超える写真を撮ることもザラだったりして…。^^;
そんなわけで、フニャ高を辞めて、日本に完全帰国してすでに1年半以上経ってしまったんですが、ブログに使ったことのない写真がまだまだいっぱいあるんですよね〜。スゴイでしょ。
(゚∀゚)
日本帰国後は すっかり撮影熱が冷めちゃって、最近はスマホで花の写真を撮るくらいです。
写真を撮らなくなったこと。
それが完全帰国してからのワタシの変化で〜す。
14年間のブダペスト生活で、日本に帰国してからの この15ヶ月ほどの間、度々ウラシマタロウな気分を味わっているワタクシ。
今月始まるサッカーワールドカップでは、心を入れ替えて、日本代表選手の顔ぶれを、一から学び直す所存です。^^;
でも、夏目漱石の時代と違って、今は日本国外に住んでいてもインターネットで いくらでも日本の情報とアクセスできるんですよね。テレビだって、日本のテレビをそのまま海外で観る方法もあるらしいし。
だから、在外邦人でも日本の情報をしっかり収集していて、ワタシのようなウラシマさんにはならない人もいらっしゃいます。
帰国後のワタシがウラシマさんになっているのは、ブダペストに住んでいる間、仕事や日々の色々に対処していくのでいっぱいいっぱいで、日本のことに視野を広げる余裕が無かっただけ…という、それだけのコトかもしれません。
(´;ω;`)