ある気づき

始業式の後
(↑ 始業式の終了直後、各教室へ移動していくフニャ高生たち)

 

先月末のこのブログで、『ブログ引越し一ヶ月』という記事をアップしました。 その中で、およそのところを要約すると、「皆さまのお役に立つような内容のブログを立ち上げるつもりでブログの引越しまでしたけれど、『お役に立つような内容』を書こうと思うと途端に筆が止まってしまう。(←モチロン実際には筆で書いてはいません。言葉のアヤってやつ。) それで結局、引越し前のブログと寸分の変わりもない、どなた様の役にも立たない日記ブログを書いてるヮ~(T_T)」……ってなコトを書いたですよ。 覚えていらっしゃるかしら?

あれからワタシなりに、自分が『日常のつぶやきみたいな日記ブログなら書ける』のに、『ほんのちょっと自分以外の人にも役に立ちそうなブログが書けない』のは何故なのか、考えてみたんですよ。
そうしたらば、今まで気がついていなかったことに気がついたの。

『日常のつぶやき』なら書ける、その理由のひとつは、ワタシには『話し相手』がいないから、誰かと直接話をする代わりにブログに書いているのかもしれない・・・と。

ワタシのハンガリーでの日常は、圧倒的に職場で過ごす時間が多く、職場以外の場所では一人きりなのが普通なので、当然一人の時には話し相手はいません。 そして職場には日本語を話す人は一人もいません。 周囲は『ハンガリー語話者』ばかり。
最近は以前に比べればずいぶんハンガリー語も分かるようになりましたけど、ネイティヴのハンガリー語話者同士の会話を完全に理解し、自分の意見を差し挟むことが出来るようなレベルには全~然至っていません。 同僚たちが話している時は、その会話の輪の中に入っているときでももっぱら聞いているだけ。 あえてワタシに話がふられた時に話すことがあるくらいです。 それでもやっぱり外国語ですからねぇ~、自分が言いたいことを自由に表現できるわけじゃない。 話すことに四苦八苦してしゃべるって感じか。

最近読んでいた本の中に、こういった事が書いてありました。
文化人類学の研究者、李仁子というかたが書かれたか、話されたことのようです。
(以下、引用↓)
「日本語が、全然話せない最初のころは大人の体と思考を持っていても、言語能力、状況判断能力、自己主張などは、赤ちゃんと同じだった。まるで人為的に突然成長を止められ、実験台に置かれたようであった。」

ココ↑のところ、ワタシには『感覚として良く分かる』…と思いました。

大人の思考があっても、それを表現する力は赤ちゃんと同じ。 でもオトナですから泣いて訴えることも出来ません。
たまに日本人とまとまった時間話すことの出来る機会に恵まれると、それこそ2~3時間でも(さらにもっと長時間でも)会話し続けることが出来ちゃうんですけどね。

『考えることは色々とあっても、それを話す相手がいない』
この状況が、ワタシの日常つぶやきの垂れ流し日記ブログを続けさせてきたんですねぇ~(^_^;

(そっか~、そうだったんだ…と、一人で妙に納得するワタシ)
banner(5)


スープは『食べる』なんだな~と、今なら分かるその理由。

グヤーシュ
(ハンガリー名物『グヤーシュ スープ』 ↑

調べてみると、日本語で「みそ汁を」…に続く動詞には
「飲む」「食べる」「吸う」「すする」などがあるようです。
地方によってとか、人によっては具があるかどうかなどによって
上記の動詞を使い分けたりしているみたい。
ワタシの場合は、
「ご飯を食べる」に対して、「みそ汁を飲む」というのが
子どもの頃から一番親しんできた言い方です。
ちなみに、スープの場合でも「飲む」で特に違和感は感じません。

でも、英語では”eat soup”、つまり「スープを食べる」ですよね。
英語で”drink soup”という表現は正しくない。
“soup(スープ)”は”eat(食べる)”物です。
ハンガリー語の場合も、英語と同様
『スープ(leves)』に対応する動詞は『食べる(eszik)』です。

実を言うと、この「スープを食べる」という表現には
個人的に違和感を感じていました。
「スープは汁物なんだから、
『食べる』じゃなくて『飲む』じゃない??」…ってね。
でも、ハンガリー暮らしを6年やっているうちに、
「スープを食べる」と言うわけが
何となく分かるようになってきました。

フルコースの洋食では、スープは前菜として
主食のメインディッシュの前にいただくものですが、
『前菜』と言いながらも 和食のみそ汁とは違って
結構しっかりどっしり…腹保ちするボリュームが
あることも少なくありません。

例えば、ハンガリーの名物料理『グヤーシュ スープ』
(上の写真参照↑)
コレもかなりのガッツリ系スープです。
スープが濃厚で少々脂っこくて、しっかりとお腹にたまる感じ。
グヤーシュは元は野外料理で、ボグラーチという大きなお鍋に
野外で火を焚いてグツグツ煮込んで作るものです。
そういう場合、グヤーシュはメインの前の前菜というよりも、
グヤーシュにパンを一緒に食べてお腹いっぱいにする…
グヤーシュがメインディッシュという感じになったりします。

また、『コンソメ スープ』に似たようなタイプの
わりとサラッとした感じのスープもあるんですが、
そういうスープにはパスタが入っていたりして
汁ものにしっかりボリュームをプラスさせていたりします。
こんな感じ↓
スープ
(『ツェルナ』という素麺みたいな細いパスタが入ったスープ ↑
給食にも良く出てくるけど、一般家庭でもよく使われるみたい。
コレをスプーンで食べるのは難しいのョ~!)

どうもワタシが観察したところ、
ハンガリーでスープとは、もちろん前菜であるわけですが、
その後のメインディッシュが無いような場合でも
スープだけである程度お腹がふくれるような
ボリューム感をも求められているモノみたい。
飲み物というよりも、食べ物なんですね。

だから
「スープを飲む」ではなく、「スープを食べる」という表現が
事実に合っているわけだなぁ…と思うようになったわけなのでした。

banner(6)