感覚の違い


 

フニャ高玄関

同じ人間同士、どんな人でも泣きもすれば笑いもする、だから日本人だろうと外国人だろうと、感覚的に分かり合える部分があるはず!…と考えています。基本的には。
(たとえ日本人同士だって、理解できない相手もいるしさぁ。)

でも、異国暮らしをしていると、「こういう感覚はよく分からん(-“-)」…と感じるときがあるのね。

例えば、フニャ高(←ワタシの勤め先の高校の仮の校名)のエントランスには マーチャーシュ王(←15世紀頃のハンガリーの有名な王様)の胸像が飾られています。(↑)

この感覚はワタシにも分からぬことはナイ。
公共の建物の敷地内なら、銅像・彫刻のたぐいが飾られているのも分かるのよ。

そういえば、昔々に自分が通っていた小学校の校庭にも「たべいしかぞう先生の胸像」があったものだし…。

しかし、ウチの近所のごくごく普通の一戸建て住宅の庭に
こんなの(↓)があったりする。

(お城のような豪邸というわけではナイ。庭は広めだけど、すごく普通の家。)
一般住宅の彫刻

こんな大きい男性裸像、わざわざ自分の庭に飾りたいと思うようなモノなのだろうか…??? (^^ゞ

この感覚は、ちょっとワタシとは違うゾ…と、思う。

塀越しに「ヤホ~!!」(↓)
彫刻

 

たべいしかぞう先生胸像、
(漢字を間違えると厄介なので、ひらがなで書く。(^^ゞ)
今も我が母校にあるのだろうか…???
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母校にゆかりのある偉人であることは確かだけど、
どんな人だったかとか、特に習った覚えもなかったりする…(^^ゞ